tokyo-pull up-barの日記

フランスでの生活で気づいたことを書いていくブログです。

この生活で何が学べるか

こちらでの生活も数ヶ月が経過する。日本と余りにも違うこの環境では、毎日ひたすらに生活するだけでも、何かしら新しいことに出会うし、学びがあるが、一度立ち止まって、こちらでの生活・仕事から何が学べるのかを整理してみる。

 

対人に強くなる。

最初に思いついた言葉だが、いきなりこれが全てなのかもしれない。全て英語かフランス語で対応しなければならないことが、この要素を一層強くしている。食事を一つ選ぶのでもしっかり伝えないと自分の希望のものが出てこないし、グループの会話でも、黙っている人間に気を使うような環境ではないので、完全に人の時間、大袈裟に言うと人の人生を生きることになる。ミスコミュニケーションがデフォルトの状態というのは、これまでの人生で経験した事のない時間だ。周りに自分を知っている人間もいないし、自分の評判みたいなものも何か一定のものがあるわけではない。あの人だったらこう思うだろうな、と探られることもない。このミスコミュニケーションがデフォルトの状態で出てくる自分こそ本当の自分なような気がしている。自分がどんな人間であるか、この年になって徐々に気づいてくるのだと思う。

 

拘りが生まれる。

何でも均質に便利なわけではないし、どれでも一定のクオリティでもなく、どれでもまあまあ美味しいわけでもなく、誰でも同様に優しいわけでもない。いつでも同様のサービスがあるわけでもなく、どこでも同じことが出来るわけでもない。自分の選択が異なる結果を生むという環境は、日々の生活の中で、自分の選択に対する責任を生む。その選択を重ねることで自分の傾向が分かり、その傾向が強くなって拘りになる。いくつもの拘りが集合してその人間の個性になる。日本人が漠然と思っている「外国人は個性が強い」というのは、この辺りから来ているのではないか。

 

学ぶ意味を知る。

与えられた勉強をして、この位の学校にいくと、この位の会社に入れて、そこで長年働くとこのくらい忙しいけどこの位稼げて、少し偉くなったら会社の金で楽しむことも出来て、最終的にリタイアしたらこんなことをして楽しもう。という国ではない。楽しいことに到達するまでの距離が近い国だ。人はすぐ楽しもうとする、勉強してどうのこうの、というのは無しに楽しもうとする。これだけ勉強していればこの位楽しくなる、というのが無いから、学ぶのは自分の人生を生きるための学びを素直にしているように思える。だからより実践的な学びが重要になってくる。仕事の仕方にしても、余計なことをしない。必要でないと思うものはやらない。勉強のための勉強、仕事を増やすための仕事とうのが少ない気がする。